中国上海留学話08

2007年3月5日(月)、曇り時々晴れ・・・だったそうな。

この日から授業が始まったみたいです。

【日記】を見てみたら、この日はもうほとんど書いていなく、しょっぱなから自分だけかなり授業に追いつけていないことに自分の中でかなりショックが大きかったようです。


今思い返してみても 、主に听力(リスニング)がボロクソだったなあというのだけは、何となく覚えてます。

それと、ようやくネットの方を自室で使いだしたのか、それとも国際交流学院内のものを借りたのかはわからないんだけど、とにもかくにもネットで当時の知人や親やらに連絡取ったり、大学の先生にも業務連絡したりなんか色々することができました。

で、以下はネットでの生存報告&記録みたいなやつです。


『あ。…』(当時の日記の題名)

・・・着きました、上海。 

何か今日から授業なんかも始まっちゃっていたりしています。 

正直、今日の授業からなんか壁にぶつかったというか、周りのヒト先生の言っていることわかってるのに、一人だけわからない・・・・・・みたいな。 

しかも韓国人の男性がほとんどで、女性がほとんどいなくって、別な意味で他のクラスへ行きたくなった。 

では、また落ち着いたら更新・・・・・・すると思います。 

たぶん。


そう、ネットが使えるようになったのはよかった。が、自分が行った(入った?)クラスは、日本人が自分だけだった!!!

終わったことだし、もう昔すぎる話だから考えても詮無いのですが、今でも自分は何故あのクラスに振り分けられたのか??って思います。

“中三”というクラスだったのですが、中国語学習中級者レベル(+ちょい上?)くらい・・・?のクラスに自分が振り分けられたのがいまだに謎です。当時のHSK(英語でいうTOEICみたいなもの)とかボロボロでしたからね!

自分から上海に行ったとはいえ、元々一人で行っていたから寂しさ全開、中国語も耳が聴き慣れてないなくて頭は常に混乱というか落ち着かない状態、そんでもって授業一緒に受ける人たちも言語が違う。

なんか色々すごすぎました(苦笑)

そんなこんな(?)で授業がこれから始まっていく感じです。

この日は授業も授業でたぶん大変だったけど、それとネットを自分で使えるようになった(なってた)のが大きな収穫だったのかなーって思います。

2019年現在、知ってる人は知ってると思いますが日本と中国ではインターネットの使える環境(状況?)が違います。

あくまで自分の体験談をつらつら書いていきたいと思うんですが、最後に少しだけ触れておこうと思います。おそらく切っても切れないものの一つですからね。

こういう話は難しいし、自分も専門ではないので深く突っ込みませんが、10数年経ってみて確実にわかるのは、自分が留学していた頃はたぶん、規制緩かっただろうな・・・ということ。

とりあえずこれだけ。

これ以上は専門家でも何でもないので、おしまい!

それより、翌日自分は授業どうしたのかw

コメント

タイトルとURLをコピーしました